アニメやイラストの話

こんにちは。
庭の苺が色づき始めました。
土に植えてあげれば、水と太陽の光でこんなに元気にまっすぐ、ただひとつの道を歩んでいく植物ってすごいですね。
本当はきっと人も、同じなんですね。

さて。
今日はただ考えたことなんかをつらつら書いています。

突然にぷっちこっぷをお休みしなければならなくなった4月。
そしてさらに5月。
我が家はとても平和すぎて、いや平和ボケなのかもしれないけれど、もしこの世にテレビやインターネットがなかったら、ウィルスの恐怖なんてのもなーんにも知らずに、のうのうとしていたのだと思います。
もともとテレビのニュースを見るのが嫌いで、多くても週に1回くらいのものでした。
なぜかというと、ニュースはほとんど、悲しいことか、怒りに触れることしか、放送しないからです。
悲しいことには涙を流し、怒りに触れることには怒り狂うという性格のため、ニュースを見ていると身がもたないのです。
耳鼻科で流れていたニュースをふと見てしまい、何週間も立ち直れない時もありました。


テレビといえば、アニメですね。
私はテレビアニメ全盛世代で、セーラームーン、スラムダンク、ドランゴンボール、サザエさん、ちびまる子ちゃん、世界名作劇場、という具合にいろいろ見ていました。
大人になった今、たまに現代のアニメを見てびっくりするのは、やはり、線です。
おそらく私が中学〜高校くらいの頃に変化はきていたのですが、人が描いた線ではない線が使われている!
色も、人が塗り分けられない効果が使われている!
ガビーーーン
それこそ私の時代のアニメは、全部人が手で描いていました。
色も人が塗っていました。
その回の原画を担当する人によってキャラの顔が違うほど、本当に人が手で描いていたんですね。
今回の人はキレイな絵描くな〜とか、今回なんでこんなに顔くずれとるん!?私の方がうまいわ!とか思っていたものでした。(←頭が高すぎ)
もちろんそれを作っていた人たちはすごい技術と労力を削っていたわけですけどね。

それに比べると、現代のアニメの、コンピューターで作った感はものすごいです。
中学くらいの時から、部分的にズーム部分などにコンピューターが使われ始めた時の違和感ったらないです。
今の子たちはこういうものを見ているのか…と思うとちょっとズッシリきます。

じつは本もそうです。
例えば折り紙の本。
全ページカラーで、つるりとしたコート紙、写真の多様、そしてコンピュータで描いた絵やデザインが多いです。
これは印刷技術の発展と、デジタルカメラの普及と、全体的な富裕化のため(本が多少高くても売れるため)かなと思うのですが、私が子どもの頃に使っていた本は、イラストが手描きであること、紙は柔らかい紙、写真は一つの内容につき完成図の一つ程度、さらに中面は1色刷りや2色刷りが多いです。

絵本や児童本についても、同じです。
古い本の挿絵は、本当に秀逸です。
一見、ザツそうだったり、色が使われていなかったり、人が可愛くなかったり、表情がよくわからなかったりするので、子どもにとって「キュン!」とはならないかもしれません。
でも実はそれは、すべて「敢えて」なのです。
古い本の挿絵を見ると、主人公が笑っているのか、ただじっと見ているのか? 嘆いているのか、怒っているのか? どれにも取れるような絵になっていたり、遠く離れた視点で表情までは読み取れないシルエットになっていたりします。
これはじつはイラストレーションのとても高い技術で、うまいのです。

こんな風に、アニメや本の絵をよく見みると、人が作ったものなのか、違うのか?
高い技術のものなのか?違うのか? が気になってきますよ〜。
よく考えたら、食事も、物や建築も、そうですよね。
人が作ったものか、それとも違うのか?
芸術も、「人が作ったもの」をしっかりと選んでいかなければいけない世の中かもしれないですね。
もちろんコンピュータの力を使うことで、しなくていい苦労をせずに済むのは素敵なことです。
でも「こーんな感じ」っていう人のあったかい感覚、無くしたら芸術じゃなくなっちゃいます。
芸術は、あくまで人が作るものなんですよね〜。

さて、6月の学校再開に合わせ、ぷっちこっぷの再開できるかな?
と楽しみにしています♪
それではまた〜。