一生寄り添うということ
「一生寄り添います」
そんなこと約束したことってありますか?
「一生〇〇する」と約束したり、誓ったり、言葉にすることって、あまりたくさんはありませんよね。
子どもの頃よく「命かける!」とか、「一生〇〇する!」とか軽々しく言ってたような気もしますが。
大人になって、働いて、山あり谷あり、なんでもかんでも経験して、挫折して、這い上がったり、抜け殻になったり、心から感動したり、これでもか!ってほど、たくさんのことがあって、ねぇ。
「一生寄り添います」「一生大切にします」「一生愛します」
これって、そうそう、あれです、結婚です。
「結婚」という言葉にすると、ただの紙一枚の契約じゃないかとか、結婚しなくたってパートナーを愛してるぜとか、いろいろな社会的なことがくっついて来てしまうのですが、ここではすみません、ふんわりと単純な意味で「結婚」という言葉を使わせていただきます。
結婚するってなんだろう、って考えたことは何度かあるのですが、最近またうぬ〜うぬ〜と考えていました。
私のブログなので私の話です。すみません。
私は結婚って、「一生寄り添います」っていう約束だと思っています。
じゃあ「一生寄り添う」ってなんだろう?ってなるんですが、
「もし相手が病気になったり障害を負って生活が困難になってしまっても、家族でいること」
「子どもに何があろうとも必ず責任を持つたった二人の同志でいること」
とか、考えていましたが、それこそいろいろありますよね。
「じゃあ、一生って?」
…って考えてみたら、びっくりすることに気づきました。
「一生寄り添うこと」を達成できるのは、自分が死んだ時なんだ。
死んだ時に初めて達成できること、それが「一生寄り添うこと」です。
死んでみないと、「一生寄り添えたかどうか」はわかりません。
生きているうちは、まだミッション中なんです。
だから、結婚は私にとってミッションです。
「決めた相手に一生寄り添うということを達成するためのミッション」。
ここで一番大事なのは、お互いがそう思うことだと思います。
お互いがそう思って、お互いがそう思ってくれていることを感じて、やっと初めてミッションは遂行できると思います。
でも勘違いしてはいけないのは、「一生寄り添うこと」は死ぬまで達成できないけれど、「一生寄り添うと約束すること」は、結婚したときに完了してます。
だから、結婚は約束そのものだと思います。
結婚したとき私が思ったことは、「私と一生一緒にいてくれると約束してくれたことに、とにかく感謝しかないぜ〜!」
だって、そんなことを約束してくれる人なんてどこを探したっていないですよ。
すごくないですか?
だから心から感謝して、私も同じこと約束しましたよ。
そして今は、ミッション遂行中です。
「私に一生寄り添うと言ってくれたこの人に、私も一生寄り添うぞ。達成するぞ。」
一生を捧げるなんて、本当にできるの?そんなこと言っちゃっていいの?
もっと素敵な人が現れたらどうするの?
という声もあると思いますし、私だってまた立場が変わればどうなるかわかりません。
でもね、「私に一生寄り添うと言ってくれたこの人に」だったら、喜んで一生寄り添いますよ、私は。
結婚観って、本当に人それぞれですよねぇ。。
中には、若くして相手を失ってしまった方も、周りにはいます。
相手に裏切られた人も、相手を裏切った人も、周りにはいます。
子どものために仕方なく一緒に暮らしてる、という人も。
本人同士の問題だし、何が一番いい形なのかなんてわかりません。深すぎます。
もし結婚観に悩み、何を目指したらいいのか迷っている人がいたら、一つの考えとして聞き流してみてくださいね。
私は自分でこんな考えをベースに結婚生活を送っていて、あまり不自由はないです。
いや…. 偉そうなこと言って、もしかするとすべては寛大な夫くんが許容してくれるからやっていけるだけなのかも!?!?
きっとそうです!!!
そうだと思います!!!汗
ありがとうございます!!!汗汗
今日はこんな勝手なことを呟きました。失礼しました。
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