祖父の手紙、発見
祖父は、みんなから慕われる町医者でした。
お腹を触ると「あー大腸のあの場所がこうなってて、こうなってる。
ほら自分で触ってみなさい。硬いでしょ。ここに便が溜まってる。出るとき痛いね」
お腹の中が目に見えるようにわかるお医者でした。
その祖父も、もう6年も前にお空へ行ってしまったわけですが、
最近家の中の整理をしていたら、大学時代に祖父から来た葉書がほろりと出てきました。
祖父はとにかく生涯勉強熱心で、中国の歴史や漢詩に精通していました。
よろづいのちながければ…
正確な意味は今でもわからないし、どうして電話をして聞かなかったんだろうと今では思います。
おそらく、「こんなに年をとると、本を読むのも大変だよ、いろいろ自分の昔を思うよ」といったように読めます。
祖父は、とにかく字が達者でした。
楷書もビシッと決まるし、こういったサラサラっと書いた葉書がなんともすんなりとおさまるのです。
私がぷっち・こっぷのカリキュラムに掲げる「書」は、こういった祖父の書き物に由来しているかもしれません。
電子メールでは絶対的に排除されたもの。
「一枚におさめる」こと。
書の根幹は、書きあらわす、伝える、そして伝わること。
この葉書を見た時、祖父が老眼鏡をかけてサラサラと万年筆を滑らせる音、印を押す圧力、
そのしわくちゃの手と骨格、葉書をポストまで出しに行くために階段を降りた足音まで聞こえてくるようでした。
人が書いたもの、描いたものの生命力は、すさまじいものです。
祖父は動かず、しゃべらず、煙になってしまった。
でも、祖父の生命のかけらがここに、確かにあるのでした。
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